神田・お茶の水界隈の見どころ4選!

1. 神田神社

御社殿

神田神社は東京都心(神田、日本橋、秋葉原、丸の内エリアなど)や、東京の食を支える市場(旧神田市場、豊洲魚市場など)、180町会の総氏神として明神様の名で親しまれています。
また、江戸三大祭りのひとつ「神田祭」でも知られ、良縁勝運、商売繁昌、除災厄除、学業成就など幅広い御利益がありパワースポットといわれています。

社伝によれば730年(天平2年)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により東京都千代田区大手町の将門塚周辺に創建。戦国時代になると太田道灌、北条氏綱といった武将によって崇敬されました。1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いで徳川家康公が合戦に挑む際、神田明神で戦勝の御祈祷を行うと9月15日の神田祭の日に勝利し天下統一を果たしました。江戸幕府が開かれると1616年(元和2年)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の場所へ移り、幕府により社殿が造営、その後江戸時代を通して「江戸総鎮守」として、幕府から庶民まで多くの人に崇敬されました。明治時代には、社名を神田明神から神田神社に改称し、准勅祭社(東京の12の主要な神社)・東京府社(東京で影響のある神社)に定められ、東京の守護神として明治天皇も親しくご参拝になられたそうです。1923年(大正12年)に関東大震災により社殿を焼失しましたが、昭和9年に当時では珍しい鉄骨鉄筋コンクリートの社殿に生まれ変わり、その頑丈な構造のおかげで第二次世界大戦での東京大空襲や度重なる災害をわずかな損傷のみで耐え抜いてきました。

入口の昭和天皇50周年記念として再建された檜木造の髄神門は、外側には四神(青龍白虎朱雀玄武)、内側には神話(古事記)の因幡の白兎をモチーフにした彫刻が施されています。門の正面、左右には門主の神といわれる豊磐間戸神(とよいわまどのかみ)、櫛磐間戸神(くしいわまどのかみ)が安置されており、上層部(二層目)には、平将門公に由来する金箔が施された繋馬を見ることができます。

神田神社の御祭神は、一之宮に大己貴命(おおなむちのみこと)「だいこく様」、二之宮に少彦名命(すくなひこなのみこと)「えびす様」、三ノ宮に平将門命(たいらのまさかどのみこと)「まさかど様」の三柱としています。三ノ宮の「まさかど様」に関しては、平安時代この地域で天変地異や疫病が流行するなどの社会不安が頻発し、それを人々は天慶の乱で活躍した平将門の呪いだと言って恐れたという記録があるそうです。命を懸けて民衆を守った将門の御霊をお慰めし、供養が行われ、今でも神として祀られているそうです。

都内では珍しく神田神社には9つの摂末社(小規模な神社)があります。古くから、社日(春秋の日に最も近い戊の日)に石鳥居を7つくぐり参拝すると脳の病気封じ、ボケ防止、身体健康などの御利益があるとされており、社日には参拝をされる方が多くなるそうです。本殿左側から裏手に並ぶ鳥居はとても美しいです。また、裏手には国学発祥の碑や銭形平次の碑などもあり、見どころ満載です。

公式サイト所在地
江戸総鎮守 神田明神〒101-0021東京都千代田区外神田2-16-2

2. 天野屋

神田神社の大鳥居のすぐ脇にある江戸時代後期1846年(弘化3年)に創業された甘酒屋さん「天野屋」。1904年(明治37年)に関東ローム層を地下6mまで掘り建築されたという糀室(こうじむろ)は現在も実用されており、糀菌を雑菌から守るため職人以外は絶対に入ることができないそうです。とても希少な歴史的建造物のため千代田区指定有形文化財に指定されています。

そこで作られた糀とお米だけを使い伝統的な製法で作ったという甘酒は雑味がなく天然の甘さとつぶつぶ食感がやみつきになります♪冬でも冷たいものと温かいものを販売していて、冷たい甘酒を好む方もたくさんいるそうです。糀は甘酒のほかにも味噌や納豆など様々なものに活用されており、店内でも販売されていました。

元旦も営業していて、神田明神の参拝帰りに立ち寄る人や外国からの観光客も多くいつも賑わっています。

公式サイト所在地
天野屋〒101-0021東京都千代田区外神田2-18-15

3. 聖橋

聖橋は1927年9月8日に関東大震災の復興橋のひとつとして、本郷通りを結ぶ神田川の上、千代田区と文京区の間に架けられました。

橋の名前は公募で、北側に湯島聖堂、南側にニコライ堂(東京復活大聖堂)、2つの聖堂があることからつけられたという聖橋が選ばれました。当時の神田川は船が運航されており、船から見上げた時にも美しく見えるようデザインされています。北区の音無橋のモデルにもなり2つの橋は姉妹橋といわれています。

北側の橋の上からはJR総武線、中央線、東京メトロ丸の内線が立体交差するポイントで、人気の撮影スポットになっています。また、反対側は映画「すずめの戸締り」にも登場したことでアニメの聖地にもなっています。

関連サイト所在地
VISIT CHIYODA/千代田区観光協会神田駿河台四丁目~文京区湯島一丁目

4. ニコライ堂(東京復活大聖堂)

お茶の水界隈でひときわ目を引く緑色のドーム型屋根が印象的な「東京復活大聖堂(ニコライ堂)」。コンスタンティノープルを首都としたビザンツ帝国(東ローマ帝国)で栄えたビザンツ様式という1000年以上にも渡る歴史のある建築様式の建物です。ドームやモザイクなどが特徴で現在でも正教会の聖堂やイスラム教のモスクに使用されているそうです。

最初のニコライ堂は、ロシア人の「ミハイル・シチュールポフ氏」の基本設計、及び、明治時代に数多くの西洋建築を日本に造り上げ、日本近代建築の父と呼ばれた「ジョサイア・コンドル氏」の実施設計のもとで、1884年(明治17年)から1891年(明治24年)の7年の歳月をかけて建てられました。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災により崩壊、その後岡田信一郎氏の指揮のもと、いくつかの改変を経て1929年(昭和4年)年に復活。1962年(昭和37年)には国の重要文化財に指定されました。レンガ造りの重要文化財としては最も古いもののひとつとされています。東京でコンドル氏の建築作品は、ニコライ堂のほかにも、旧古河邸や旧岩崎邸などいくつも見ることができます。

ニコライ堂は、日本正教会の大本山で、カトリックでもプロテスタントでもなく、東ローマ帝国の国教として初代教会の信仰をそのまま継承するもっとも伝統的なキリスト教の教会です。ニコライ堂の名前の由来になっているニコライ・カサートキンは、1861年に函館のロシア領事館付属礼拝堂司祭として来日、日本語や日本文化なども学び、ニコライ堂を始めとして日本各地に聖堂を建て、日本人に正教を伝道しました。

この大聖堂は300円の献金を払い、信者でなくても聖堂内を見学することができます。内部の撮影は禁止されていますが、ドーム状の広い空間には金色のシャンデリアや燭台が並び、美しく華やかなステンドグラス、聖書の中の場面などが描かれているイコンが飾られていて心が洗われるような清らかな時間を過ごすことができます。受付でパンフレットが頂けるので、ベンチに座り建築や正教会について学びながら堂内をゆっくり眺めてみるのもおすすめです。見学できる時間帯が限られており、行事があると見学できないこともありますので事前に確認してみてください。

関連サイト所在地
ニコライ堂(東京復活大聖堂)〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台4-1-3

まとめ

このエリアは、東洋と西洋の全く趣の違う歴史を感じることができたり、神田川と線路を走る電車の眺め、昔ながらの飲食店や建物などは、歩いているだけでどこか懐かしさを感じさせてくれます。